国語力はすべての教科の基礎となる
文章を書けるようになるということは、すべての教科に必要な、考える力がつくことに他ならない。
考える力をつけるための基礎は、なんといっても国語力だ。言うまでもなく、私たちがものごとを考えるときには、言葉を使う。そのため、国語力が身につかないと、考える力もなかなか身につかない。
小学校時代に国語力を身につけることが大事
国語以外の算数、社会、理科などの科目も、教科書にしろ試験問題にしろ、当然、日本語で書かれている。だから、文章をきちんと読み取る力がないと、内容が理解できない。
算数の記号も、論理が基本にあるわけだ。足す、引く、割る、などと、記号の意味を言葉で補って理解できないと、計算問題でさえきちんと解けない。文章問題となればさらに、計算力だけではなく、問題が何を求めているかをきちんと読み取る力がなければ解けない。
小学校時代に国語力が身についていないと、中学になってから習いはじめる英語では、さらに苦労することになる。
知識は国語力があるからこそ蓄積されていく
国語力とは、具体的には言葉の論理力と言っていい。言葉と言葉、文と文、段落と段落がどのような意味を持ってつながっているかを読み解く力だ。国語力をつけることで論理的に文章を読み解けるようになる。
しかし、言葉の論理力だけでは、十分ではないことも多い。高度な文章を読み取るためには、知識が必要だ。
人の心の動きについての知識があるからこそ、小説を読んで、そのストーリーの奥まで読み取ることができる。社会の仕組みについてある程度の知識があるからこそ、ニュース記事や、社会現象について評論した文章を理解することができるのだ。基本的な知識がなければ、いくら論理的に文章を読むことができても、深く理解することはできない。
国語の読解問題でも、背景についての知識がない子どもはまったく読み取れない。文章の前後関係、背後関係を読み取るためには、ただ単に論理的に読み取れるというだけでなく、生活習慣や対人関係などに関する知識の蓄積が必要だ。
ただし、そういう知識は、国語力があるからこそ蓄積されていく。様々な文章を読み、深く理解することで、知識が増え、ものごとに対する理解が深まる。そして、そうなることで、もっと高度な文章も読み取れるようになり、さらに国語力が伸びていく。
だから、国語力を伸ばすためには知識が必要だが、その知識を増やすためにも国語力が必要だという、循環関係になっているのだ。
国語力が身につくと、人間や社会についての理解も深まっていく
国語力は、論理的な力と知識を用いて、ものごとについて考え、社会のあり方や人の心を読み解く力にも結びつく。
小学校のころからきちんと国語力をつければ、それほど意識しなくても、知識の蓄積がうまくいく。そして、ごく自然に人間について、社会について、考えをめぐらすようになり、理解も深まるようになる。
逆に言うと、その時期に国語力をきちんと育てないと、知識の蓄積もうまくできなくなってしまう。そして、あとになって本や新聞で知識を増やそうとしても、なかなかそれが自分のものにならない。すると、人間について、社会について、何をどのように考えていいのかわからないといったことになるのだ。